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マキシマム ザ XXX !!!

父の死で感じたこと

 

5月上旬、突然父が亡くなりました。ゴールデンウィーク明けの夕方に、本当に突然。

病院の方が丁寧に心肺蘇生をしてくれたけど、意識は戻ることなくそのまま息を引き取った。

 

よく考えると祖父も同じくらいの年齢で突然死だったので、祖父より2年も長く生きたのは父なりの親孝行かもしれないなと思う。

 

夕方というのも父らしいし、小雨が降っていたのも父らしい。月命日が母より1日早いのも詰めが甘くて父らしい。

そして一度心肺停止して、そのまま回復しなかったところも、母が亡くなって、わたしが成人してからは特に、生に執着のなさそうだった父の最期らしいな、と感じた。

 

父の死は本当に突然で、そりゃ死ぬほど悲しかったし、ああまた生き残ってしまったなと思ったし、ご臨終ですと言われて、最初は暖かかった手がどんどん冷たくなっていくのがつらくて仕方なかったけど、今はわりと気持ちの整理が付いていると思う。

普段は研修の親子ビデオでも泣くわたしだが、葬儀でもお骨上げでも泣かなかった。

闘病していたわけでもなく、心臓以外は元気だったからか、母や曽祖母の時より随分しっかりと骨が残っていて不謹慎だけど笑ってしまった。父らしい。そういえば父は牛乳をよく飲んでいた。

わたしも「小さいくせに骨がめっちゃしっかり残ってる」と言われたいから牛乳飲もう。

 

親の死というと、わたしの年齢では経験したことがあまりない人のほうが多いと思う。80代になっても夫婦健在という方もたくさんいるみたいだから、結構いろんな人が「どう慰めていいかわからない」みたいな感じになる気がする。

わたし自身も、母親を亡くしたあとに「ああこれ父親が死んだらきっと立ち直れないな」と思っていた。10歳だったわたしにとっての絶望は間違いなく父の死だった。

でも人間ってある意味めちゃくちゃ薄情なもので、一月も経てばあんなに家族で落ち込んでいたことも忘れてしまう。「人間は忘れることで生きていける」と言うけれど、本当にその通りだと思う。「痛みを忘れていく」という防衛本能が、わたしにも正常に働いていてよかった。それに、父が死んでから悲しいことばかりじゃないと思う。人の死は家族や心を変質させるけど、それは決して悪い変化ばかりではない。

高齢の祖母をひとり置いて先に逝ってしまったのは確かに端的に言うと「何でやねん」という感じだけれど、でも父が生きていたら祖母とこんなにたくさん話をしただろうか、と思うし、そもそも父が生きていたらこうして家族が同じ日常を共有することもなかった。

家族間の繋がりは希薄な家だったかもしれない。

べつに仲違いしていたわけでもないし、姉とも父とも仲は良かった。だけれど家族というものに個々で思い入れがあるかと言われると微妙なんじゃなかろうか。家族旅行に行った記憶もない。家族で出かけたのは法事くらいしか覚えてない。あと母のお見舞いかな。

それが取り立てて寂しいと感じたことはないしこんなもんかなと思っていたけど、夏休みに家族旅行に行く家の話を聞いていると家族間の結びつきは薄いような気もする。

だから父が亡くなって、実家に帰ったりするようになって、姪や甥ともう一度家族を追体験しているのだと思う。

 

姪の学校の帰りを待ったり甥の好きなことの話を聞いたり姉と旦那の夫婦のやりとりを見たり、ああこういうのいいなあって思ったりしてる。祖母とテレビ見ながらあの芸能人は顔がいいとかこないだドラマに出ていただとか、そういう話をするのも楽しい。これって父がいたら多分してないことなんですよね。

父が突然亡くなったことも悲しいし、骨壷の中に収まる程度しか父親だったものは残っていないし、立派な戒名がつけられて、位牌が届いても、まだひょっこりと帰ってきそうな気がする。そして「帰ってきてたんか」って言われそうだし。

その喪失感はきっと向き合うことができないくらい深い。だからわたしはひとまず忘れることにしたのかもしれない。

だけど、それ以上に得たものがないわけじゃないです。遺族っていつも俯いていないといけないわけじゃないし、いつまでも四六時中メソメソしているわけじゃない。

成人して自分で子どもを産む前に、家族を追体験できたことはきっと稀有な経験でしょう。父の死に向き合えているかと言われるとわからないけど、死は向き合うものではなく、受け入れるものだと思う。時間しか解決できない類のもの。

数年後にめちゃくちゃしんどくなるかもしれないし、今からわたしに子どもができたら、また精神的に不安定になるかもしれないけど、今はわりと落ち着いている。これは結構本心から言っている。

 

世の中にはいろんな人がいる。

不治の病の人、死にゆく人、家族が死んだ人、いまも苦しんでる人。その苦しみや悲しみ、葛藤はたくさんあることでしょう。わたしは所詮経験していないことはわからないし何も気の利いたことは言えない。

常々思っていることだけど「可哀想」のレッテル貼りってほんと身勝手だ。わたしはレッテルを貼られる側であることが多かったから、余計に敏感になっている部分と多分にある。

きっとわたしも知らない間に決めつけていることがあるのだろうなとおもう。

結局遺された我々は各々の人生を生きていくしかないし、結局生きてみないとわからない。

その先が彼らのいう「可哀想」な人生なのかは結局生きて感じてみないとピンとこないよ。

 

もう少しで父の四十九日です。

人が死ぬことは決して不幸なことばかりでもないよ、不幸かを決めるのはいつだって自分じゃなくて他人だという話でした。